インタビューを再構成して、AK47の設計者が自分の人生を語る形を取っています。
ひとことで言えば、スターリン時代を経験した一ソビエト人の人生、といったところです。
突撃銃「カラシニコフ」自体(や世界に与えた影響等)については、別の資料に当たる必要があるでしょう(例えば朝日新聞の連載をまとめた「カラシニコフ」とか。商売お上手。でも確かに興味を引かれるテーマです)。
1919年生まれ、一族はコーカサスのクバンに由来を持つ(クバン人?)コサック(p.28)で、両親はロシア帝国の東方植民政策で、現在のカザフスタンよりさらに東のアルタイ地方に入植したそうです。
農村のコルホーズ化で一家はシベリア送りとなって辛酸なめたのですが、「自分の生家を襲った悲劇をスターリンに結びつけて考えたことはなかった。過ちは地方の小役人たちのせいだと思っていた」(p.175)、「スターリンと面識がなかった。それが残念でならない」(p.179)と述べているのが印象的です。
カラシニコフにとって、スターリンとその時代は青春・信条・栄光そのものと化しているのでしょう。
兵役中に戦車関連の発明品がジューコフの目に止まって兵器開発者としての道の入り口に立ったのですが、ドイツの侵攻により前線へ。
ブリヤンスクの戦闘で負傷し、病院で銃器設計の勉強を始め、その後戦時中は、中央アジア各地とショーロヴォ武器試験場やコヴロフの工場(どちらもモスクワ地方らしい)で設計・試作・コンペを重ねていたそうです。
独ソ戦自体にはあまり触れられていないのですが、ここらへんを読んでいて、モスクワ周辺はともかくアルマアタ・タシケントって、そりゃーどうやったって独軍が行けるはずもなし、人口・工業はウラルの西に集中してたにしても、共産党/赤軍が内部的にどうにかならない限り、これを負かすのはほとんど不可能だったのかなー、と思ってしまいました。
一気にモスクワが陥落しても、どの程度政権を動揺させることができたのか、さもなくばあとはゲリラ戦しかできないところまで追い込むまで延々と戦うか・・・。
安価な銃がバラ撒かれたことについては、ソビエト(と米国)の政策・戦略であり、カラシニコフ自身によるものではないでしょう。AK47の原型がコンペを勝ち抜いてから、銃器設計の分野で地位を築き、改良・開発を続けて体制に貢献したことを責めるにしても、それが、まずイデオロギーがあったソビエトという国、20世紀という時代、だったんだろうなと思いました。
「戦後」史というより20世紀に入ってからの歴史って学校で習った憶えがなく、その後書物等でまとまったものを読んだ憶えもありません。「カラシニコフ」と(いう言葉を)目にして読んで、初めは現代戦戦術級
FirePower(チット引き、1人1駒でしたっけ?)でも実家の押入から発掘(HJ版があったはず)してみようかと思ったんですが、むしろ冷戦カード・ドリブン
Twilight Struggleをやってみようかな、と思い始めました。
内容のほかに印象に残った/どこかで見たなー、と頭に引っ掛かった人名が、イワノフ、シモノフ、ザイツェフでした。
イワノフは、自分で偽名に使ったり、東欧旅行をするときにKGBから提案された偽名の1つにも入っていて、英語ならジョン・スミスのスミスがロシアならイワノフなんだなー、多いんだろうなーと。
あと2つはどこかで見憶えがってことで、シモノフはシモノフ対戦車銃と魔術師シモンをくっつけてたライト・ノベルがあったのを思い出したので(富永 浩史「魔術師の名はシモン」)。
デビュー作「死天使は冬至に踊る」は中世ロシアが舞台で、現代が舞台のファンタジー「シモン」では「対戦車銃シモノフ」登場というロシアスキー・ソビエトスキーぶりがなんとも。
富永 浩史著(どちらも絶版)
魔術師(マグス)の名はシモン (サークル文庫―The "Bird‐watchers")死天使は冬至に踊る―ルスキエ・ビチャージ (富士見ファンタジア文庫) ザイツェフは思い出せないんで検索かけたら、映画「スターリングラード」(2001,原題Enemy at the Gates)が出てきました。確かにこれもあるんですが、他にも何かあったような。まあ、比較的よくある姓なのかもしれません(上記「シモン」に出てたりして。手元にないので)。
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